心が重いと感じるあなたに必要なのは、本当の理解者です
心が重いのと憂鬱の関係
学校に行くのが、会社に行くのが憂鬱で仕方がない、そんな経験ありませんか。
物事には何かしらの理由があります。
この場合憂鬱になる原因です。
学校に行くのが憂鬱と感じるのは、嫌だからですか?
その嫌の中にはいろんな感情が込められています。
なんで嫌になったのかと過去にさかのぼり、絡まった糸を一つ一つ解きほぐしていかなければ解決しません。
いつから嫌になったのか、きっかけは思い出せますか?
最初は些細なことだったかもしれません。
ですが嫌という気持ちは徐々に大きくなり今も膨らみ続けています。
その気持ちは鉛のように心に張り付いてしまいます。
いつしか関係のないことですら気が重くなってやる気すら奪ってしまう、恐ろしいことです。
解決方法は簡単ではありません。
それは学校、会社という決まった場所で起こる出来事は、自分で変えることができる範囲が限られていて難しいからです。
変えようと思って行動すれば周りからの視線は冷ややかなものになるでしょう。
正解なんてない問題に考えすぎるあなた
そんな窮屈で檻の中にいるみたいな世界でどうすればいいのでしょうか。
- 今までの生活に耐え続ける
- 周りなんて関係ないといって行動を起こす
- 全て嫌になって放り投げる
- 自分ではどうしようもないから周りに助けを求める
- もう歩くのは疲れたから立ち止まる
なんてことが考えられます。
このどれもが正解であり、不正解であります。
どういうことかと言いますと、1の場合周りには迷惑をかけないけど、自分がどんどんと苦しくなってしまう。
2の場合、周りに迷惑をかけて、自分が楽になると思って行動したけどやっぱり周りが気になってしまう。
3の場合、放り投げることで解決できることならいいのですが、そうもいかない場合もあります。
4の場合、周りに助けを求めたところで自分の求めたものが返ってくるとは限りません。
5の場合、立ち止まって周りを見ることは大切ですが、いつまでも立ち止まっていられないことに気づいてしまいます。
このことから見ると、心が重いと感じる人は自分と周りの状況をよく見ている人だと分かります。
その状況を理解しているからこそ行動できなくて、心に色々とため込んでしまうのです。
立場上、環境上、行動が制限されていて、それは自分の考えとは違うという思いは心に軋みを生みます。
思っていることとやらされることの違いに誰もが苦しみます。
本当に欲しいのは分かってくれる人
では自分の心が重い原因に気づけたらどうすればいいかという話に戻りますと、一人で解決することは難しいということです。
周りのことをよく見る人というのは、相手の気持ちをよく考えられるということです。
そうなれば、相談なんてとてもできなく、結局自分の中に閉じ込めてしまいます。
だから必要なのは本当の理解者なのです。
では本当の理解者とはどういった人物なのでしょう。
友人ともまた違い、親や親せきでもなく、電車に乗っている隣の人でもない。
でもそのどれでもあるのです。
あなたの心の中を見てくれる人、聞いてくれる人、その誰もが理解者です。
どうしてかというと、友人としてのあなたではなく、一人としてのあなたで聞いてくれるならそれで構わないのです。
色んな関係の中、人々が見ているのは創り上げられた自分です。
本当の自分を見てくれる人は少ないです。
なぜなら、心は誰にでも見せられないからです。
それは心をさらけ出すのは弱点を言うことと同じことだと思います。
そしてさらけ出したからと言って受け止めてもらえるとは限りません。
ですが、心を開かない限り誰にも気づいてもらえないのです。
助けようと手を伸ばされている状況でも手を伸ばさないというのが、心を開いていないということです。
二人が手を伸ばしてこそ、あなたと理解者の関係が築けるのです。
おわりに
結局、人に頼ったことになりますが、心というのは自分だけではどうしようもないことが多いです。
簡単に理解者が現れるとは限りません。
ですが、シグナルを出さなければ誰も気づくことができません。
手を伸ばした先にきっと誰かがいると信じてください、だから手を伸ばすのをあきらめないで下さい。